BEST5(2021年5月9日)|BIGLOBEニュース

別項で羊次の父親は「心中するほどの仲だったとは知らなかったが、事実とすれば、息子は引きずられたのではないか」と発言。 放送局を首になった時の浪人の体験もあるから、一生懸命で困っている方を助けてあげるの」と抱負を語っている。 彼女を決定的に死に駆り立てたもの そんな中、8月22日付時事朝刊「婦人と家庭」欄では「母の務(め)を果した 老いざる未亡人 彼女達はどうしたらよいか?」という識者談話を特集している。

19
「維新前には与力という武士の家の一人娘として生まれ、父が拝領の地・日本橋亀島町1丁目27番地で呱々の声をあげてから、近所の人たちは地主様のお嬢様として、ただわけもなくもてはやした」という生い立ちや、結核と思われる病気で夫を失った後に「石にかじりついても独立して子どもを一人前にしてみせる。 識者談話では、のちに東洋大学長を務める高島平三郎・女子高等学園長が「名家出の翠川さんのような方があんなことになるとは、非常時日本の今日、ただもう『遺憾』の二文字に尽きることです」と慨嘆している。

[B!] 翠川秋子

新保は「ブラジル珈琲」の宣伝部員で死亡通知の宛て先の1人で、秋子の死の直前のころ、かなり親しくしていたようだ。

「冷酷な現代の社会機構の重圧のために、遂に母性から女性に転落。

日本初の女性アナウンサーが子どもをおいて年下男子と失踪、海へ……「翠川秋子心中事件」とは

そのとき、秋子は「死ぬという覚悟を持って当たれば、どんな誘惑にも暴力にも打ち勝たれる。

同署では死の道行きか激浪のため遭難したのか不明で、謎の死として警視庁に照会する一方、引き続き捜査を続けている。 放送局に続いて、ここでも後藤人脈に救われたことが分かる。

日本初の女性アナウンサーが子どもをおいて年下男子と失踪、海へ……「翠川秋子心中事件」とは

記事では「日本職業婦人協会を始めているから、これを大きくするの。 日本観光協会の嘱託の傍ら、生命保険会社の外交員としても勤務していた。 同居していた長男、長女は、翠川が突然旅に出ることが時々あったため気にしていなかった。

9
詳しい事情は日をあらためて拝姿のうえ申し上げますから、いまふりかかった、私の生死の間をさまよっている境遇をお救いくださる意味で25円電報為替で送ってください。

BEST5(文春オンライン)

ミシンや編み物の教授、副業仲介、それに職業仲介。 秋子の長女美代子は「母が新宿におでん屋を出していた時、藤懸さんはたびたび見えており、母と非常に親密にしていました。 侠気のためにかえって人に裏切られ、地位を奪われ、汚名まで着せられたこと、一再ではありません。

2
秋子の長女美代子は「母が新宿におでん屋を出していた時、藤懸さんはたびたび見えており、母と非常に親密にしていました。

BEST5|ニフティニュース

その帰りの列車中で初めて女史を知った」。 こうして2人は出会い、やがて恋愛に発展し、最終的には心中事件を起こしたというわけです。

10
まだ社会で活躍する女性が少ない時代。 読売は同年9月6日付朝刊でも「アナウンサーの行方を尋ねて」の第1回で「曾(かつ)ての翠川秋子さん、今では 本名の荻野千代子を名乗る」の見出しで続報を掲載。

Wikizero

毎日朝から海へ行って泳いだり、ボートで魚釣りをしたりして、夜は差し向かいで晩酌をやったり、トランプを夢中になってやっていました」「なるべく他との交渉を断ち、人目を避けていたようでした」。

6
「一度死を決して家を出たものの、やはり生に対する執着から脱することができないでいるところへ、彼女の家出事件が新聞紙上で大きなセンセーションを巻き起こしたために、いまとなっては家に帰りたくとも帰られぬ羽目に陥ったのでした」と分析した。 「あなたは身辺を取り巻く世間のうわさに対してどんな態度をお取りです?」という記者の質問に「一々怒っていても大変だから聞き流してるわ。

翠川秋子

「女手一つで子どもを育て上げ、亡き夫への責任を果たした」という見方と「母から女へ転落した」という批判が世間を騒がし、彼女の身の処し方には毀誉褒貶が湧き起こった。 雑誌「皮肉」の刊行を始めていた。

10
中からヘビの革の女物の煙草入れと丸い琥珀が出てきた。 記事で興味深いのは、事件に対する当時の読者の反応を捉えたリード部分だ。